神棚、仏壇、玄関、
斎米料、お鏡料、お墓の花、もうこれでイイか
大掃除は?せん。もう疲れたし、 ちっとずつでも疲れるわ
じいさんの往診の お代もまだだったけど
先日医院へ行ったら 車も満タン 道路まで停まっている
ので帰って来ました。
ミフネちゃんに言ったら 来年で全然大丈夫やでと
言ってくれました。
掃除も どうせ冬の嵐でそこら中 またゴミだらけになるし
気持のもんです。
ごみステーションには ゴミは5日から と書いておきました
2日の月曜日に入れる人がいるかも知れないので
扉をくくっておきました、解らん(≧▽≦)人がいるのです。
他の ごみステーションの所も苦労しているだろうね
忘れていることは 明日があるし 明日にしょうおーーっと。
なんてことは有りません 元日はやってくるのですから。
大晦日の紅白歌合戦について 若い人のグループは
皆 同じ顔に見えるからと書きましたが 若者から
見たら 年寄りは皆同じように見えるらしい。。。
そやそや そうですね、あそこのジイサン バアサン
オッッアン オバサン 区別付かないなあ そらそうや
( ^)o(^ ) (>_<) (+o+) (^^)/
でわ では。
追加ーーーいつも見るナカムラブログ 思わず うふっと
笑ってしまいました。
顔の肉の垂れ具合に耐えられないので。。。の部分
で・す・。
年末にもう良い日は無いのかと思っていたら
きのうは本当に晴れて風も無く良い日でした
いちにちでも こんな日が有り難いです。
大掃除をする訳でもありませんが
気分的に大雪 大雪とニュースを見ていると なぜか
気分が落ち込みます アナウンサーの言い方も あります
「洗濯物は 今日は外へ干せますとか 早めに入れろ」
とか
そんな事は主婦は毎日空を見て考えておりますよ。
お天気にいさんでも お天気ねえさんでも
「あっこの人が出てきた」とチャンレルを変えたりします
今朝起きるまでにラジオを聴いていたら
独り暮らしの高齢の人のお便りで「玄関のお飾りを見ると
寂しくなってきます、カレンダーには 困難を乗り越えて
未来に向かいましよ と書いてありますが 私には未来は
ありません」という文をアナウンサーが読んでいました。
続きを 聞くまでには起きなければなりません
のでどうなったか 気になりますが。。そういうお便りを
書いてラジオ番組に投稿できる力があるのですから
それが生き甲斐になるのではないかな。。
大都会は人が多いけれど 孤独を感じるかも知れないね
田舎の人口の少ない方が 知人が多いかもね。
今日入れて後三日で 2022年も終わります
紅白歌合戦は観ても 最近は若いグループばかりで
皆 同じ顔に見えて判りません ので観ません
大晦日の6時から6チャンでザワつく大晦日 を見ようと思う
杉下右京さんが出るから。。。。録画しておきます、
食べたいなあと思っていたニシンおしというか
ニシン漬けというか 昔 親が作っていたときは
ニシンの寿司と聞いたような気がします
それを頂きました。漬け物なども人によっては色々と
チョットしたところが 味は色々になりますが
今日の漬け物は ニシンも軟らかくて良い出汁が出て
白菜によく浸みてとても美味しいです。
わたしは作れないので
これは誰にもやれません。 ウチが1人で食べる事に
します、漬け物と一緒に あるモノも頂いたのですが
これは なんでございます あれでございます、
あまりにも美味し過ぎて すっかり品名を
忘れてしまいましたね。。。。。。
今、たいていの家が使っているストーブは
コンセントをさして 使っている
上が熱くならないので子供達には安心なとこもあり
便利だと思っていました。
ところが この大雪で電柱が倒れたりして 北の方では
ストーブも点けられなくて寒くて震えている人達を
見ると昔に使っていたストーブも必要だなと思った。
一台 そのまま置いてある家のストーブも処分しよか
と思いながら 邪魔にもならないので二階の部屋に
カバーを掛けて置いてあります
そのストーブは まぁ大きいめで 倒したら危ない
それと上を触ったら火傷をする と云う事で使わない
で置いてあります。
もしも 万が一電気が来ないことがあったら
(無いとは限りません)そういう事を考えると
断捨離と云う事も考えないとなあ。。と思った。
断捨離をすることが良い事だとばかり考えていたけど
今、この冬に何日か電気が来ないと考えると
どうするか? 家の横に薪ストーブの小屋があるから
そこで 寒さはしのげるか~~と
ここ何日か そんな事を思ったりしています。
毎日々 悪天候が続いて 気が落ち込みます。
今朝テレビを観ていて長男が「よしよし・・・言わんかった」
と言っている なに?
画面ではサッカーの選手がインタビューに答えています
その人は最初に「そうですね。。」とは一度も言わなかった
選手だけでは なしに
インタビューの時に大体の人が最初に「そうですね~」と
必ずその度に「そうですね。。」という人を聞いていると
嫌だという。 問われたときに「そうですね」
という人が多いです。
嫌な言葉では「めっちゃ」「めちゃくちゃ」を連発する人
ネットで見ると それが嫌いな人が結構おりますね
なぜ「すごい」「素晴らしい」「とても」とか
言えないのだろうか・・と。
滅茶苦茶は筋道のたたない前後を考えずにモノを行う意味
なのですが
近年は使い方が 変わって来ている と解説されている。
大勢がずっと使っているとそれが普通になってきます
ですから日本語が乱れて来ていると専門家はいいますね
ヤバー マジッ? 無理無理 など。
方言とは また違います。反対の意味の時もあります。
最近では慣れて来ましたが
「ほっこり」と言う言葉 ここらでは ほっこりは
疲れた。たいへんや。とかに使っていますが
全然違うので 驚きました。正反対の意味でしたね。
10本の手の指に次々と 痛たた とヒビ割れがおこる
今年は大丈夫かなと思っていても時期が来ると忘れずに
やってくるので絆創膏で巻きつけます
こんな絆創膏も 色んな名前が付いていますね
どれでもいいのです、指に巻いておかないとヒリヒリと
痛いので困っています、親指、人差し指、中指、小指と
今のところ4本。
時期が終わらないと 解決しません、なんぼ塗り薬を
つけても 変わりはありません テープで巻いて
日の経つのを待つばかりです。何年越しの付き合いです。
長い付き合いです。
お寺へ年末の 斎米とお鏡料を持って行きましたが
留守のようなので 郵便受けへ入れて来ました
郵便受けのモノは直接 事務所か部屋に入る
ようになっています。
そして墓地の方へ行ったら二人の女の人が草か何かを
取っているのか 地区の人かと思い近づいて行ったら
新田先生と も1人は娘さんのようでした。
母子でお墓の 掃除に来られていたようです。
挨拶をして 少し話していたら「也寸志君と言ったかな
高鳥の子とよく遊んでいたなあ・・・」って
「へぇーー先生よく名前を憶えておられますね」
「えぇっ也寸志くんて〇〇〇〇の子やった覚えている
ほんまに〇〇〇〇やった」
上のにいちゃん 何やったかな そやそや勝利くん
あの子、学校に水道のタンクがあって その上に登って
危ないしと思っていたら 他の先生が
もりまつーーぅ もう下りて来んでもええど と
言っていたのを忘れんへん 」と笑っていました。
新田先生は今94歳とかと言っていました。
凄い記憶力 話し方もしっかり はっきりです。
勝利、也寸志が西津小学校の時のはなしです。
親が使っていた箪笥を 私が欲しいと言っていた
・・・と言うて 取りに来てという
それはイツ言ったのか 親が亡くなってもう24年
です。
当時母親が亡くなった時は不要だろうから
モラウ って言うたのかも知れない。
今になって忘れた頃になって その話?
実家では新居が出来て要らなくなったのだろう
親からのモノは何もないから 形見にもらって
置いても良いだろうけど。。。
そんなに大きな箪笥ではないから 何処にでも
置けます、ふた昔以上経ってから・・か。
欲しいと言ったのか 記憶も薄らいでいる。
也寸志に運んでもらう事になりました。
昭和4年 1929年 太平洋戦争が始まる12年前
世界恐慌が起きます
世界恐慌というのは アメリカ企業の株価が大暴落したこと
により アメリカ国内の経済状況が極端に悪化し
アメリカに経済的に依存していた国々も 二次的に恐慌に
陥って 世界中が大不況となった。
世界中でモノが売れなくなったという事です。
当時日本はアメリカに大量の生糸を輸出していたが
殆んど買ってもらえなくなった。
新しい手を打たないと日本国内はどんどん
貧しくなってしまう一方です
日本は貿易に頼らず 自力で生きて行く力を付けようと
領土拡大政策をとるようになります。
その矛先として目を向けられたのは 中国です
広大な領土と豊富な資源があったので占領するのに魅力的
な国でした。
この時期の中国の国内の状況は かなり荒れていました。
中国大陸を一つにまとめていた清という国が衰退をして
もともと香港を植民地としていたイギリスを筆頭に
北からロシア 南からはフランス、ドイツといろんな国が
次々と清の広大な領土に手を出して来ていたのです。
中国大陸はかなり混乱状態になっていたのです。
こうした中で日本は 色々の国と揉めながら中国東北部の
満州という地域を獲得します。
第一次世界大戦はドイツが周りの国々に侵攻したことにより
始まったのです。
1000万人以上の死者がでたので 世界全体として
戦争はやめようとなった。
日本は満州地域関係から中国と揉めて日中戦争が起きた
欧米諸国 特にアメリカは中国の味方をして
日本は後戻りできなくなって そしてアメリカとの戦争
太平洋戦争になったのです、
あんた~ 解りやすく書いたつもり これで解ったか?
ウチも太平洋戦争が何が原因だったか詳しくは知らん
かった。 森松のおじいさんは31歳で戦死した。
戦争が終わって帰りの船の中で亡くなったという
地雷かなんかの爆発が元で怪我をしての事らしい。
当時の人は 国の言う通りせんならん 可哀想やったな
今は国の偉いさんにでも 文句言える時代で それが
良いのか 悪いのか知らんけど 時代が変わって来た
ちゅうことやわな。ほんならね~~。