27年間ほど二階の 南側とマリーナが見える西側に窓がある部屋から
移動をしなかった じいさんが やっとのことで下の居間へ移動をすることに
なりました。
ベッドも運んでもらい 二階部屋は空っぽになり 掃除も済ませた。
階段の昇り降りが、気になり、その度に見張り👀をしないと もしもの時に
取り返しがつかない。 一度 踊り場の辺りでどうにかなり どどどどーーと
背中から落ちてきたことがあった。
落ち方もタマタマ上手くいって 特にどこをどうということなしで済んだ。
下の居間にいてくれると、出かけていても安心です。
じいさんの代わりの事や 長男の代わりの事で あちこちと
用事があります。
今のところ私は 頭はそこそこ悪くても 手も 足も腰も 痛くは無いので動けます。
時たま ぐ~~っと疲れ【肩こり】がして 隠れて泣いております(ホンマか)((+_+))
福井大学病院から帰って来て五日目、、談話室の話ももう無い。
なぜ福井大学病院に行っていたのかは 知っている人もあり、
そんなことは知らん・・という人もあり、
簡単にいうと 長男が志賀高原のスキー場で 怪我をして
長野市の松代総合病院へ運ばれた。 そこで骨折の箇所を
仮にボルトで固定して 二週間ほどしてから 福井大学病院へ
転院したということです。
長男の骨折に合う先生が福大におられたということです。
術前の説明後に なにか質問ありますか、 聞きたい事あったら・・・と
先生に・・・・「また、来年スキーできますか」 (何ちゅうことを聞くんか)
「激しい滑り方をしなければできますよ」 (懲りてない)
しばらくは ブログも書くことがありません。し~~~んです。
「わし、84才なんや、 右足は前に 手術してもろた。 次は左の足を
してもらうために 今日は手術まえの話を聞くために来たんです」と
夫婦で椅子に座って待っています。
・・・・ところが緊急の手術が入ったようでそれが済むまで待ってくれとのこと。
そう言っている間にサイレンの音が聞こえて来て救急車🚑が入って来たようです。
指の手術だという。 (情報が速いなあ、)患者さん到着したとこなのに。
夫婦が「いつまで待てばいいんかの~」と言っています。
それで、わたしは
「ウチの時も 説明が午後六時ころということやったけど その時も緊急手術が
入り 八時ころまで待ってくれませんか。と先生が言って来られたでー。
それでウチは、なん時になってもいいです。いつまででもいいです。
明日までおりますので 急ぎませんと言ったんや」 ・・・と
その二人に話したら 「ほーやのぅ、どうせ待つんなら 文句を言うより
そーぅ言うたほうが ええのぅ」と 心を決めたようでした。
少し世間話を聞いた。
その奥さんが「わたしと同じものを毎日食べていて わたしは何ともないのに
この人が糖尿があるのは どこかで隠れて何かを食べているか飲んで
いるんに違いない・・・・」
旦那さんは聞こえない振りをして 「昔はダンプで高浜の方へ砂利を
何度も運んだ」 ことや凍っているところで滑ってこけて足を痛めたことを
話してくれた。
そうしているうちに 時間も経ち ふたりは看護師さんに呼ばれました。👣。。
大学病院の続きの話・・・・ですが
私が一旦帰って来る日の朝、 談話室に車椅子でよく来ている
にいちゃんが (≧▽≦)「いややな~、いややな~」と言っている
なにがイヤなのか聞いてみると
血栓が肺に入って行かないように ここに(胸)フィルターが入れてあり
それがもう要らなくなり 取り出すのですが
フィルターが傘の形になっているので下の方からは抜けなく 首のところから
抜くのです。 そして局部麻酔だから 先生や看護師さんの話すことが👂
聞こえてくるから 嫌なんだと・・・いう
それで、いややなあ~の言い続け・・・ 「そうなんか~じゃ先生に一言も
喋らないでと頼むか、 耳の穴に麻酔してもらいや(笑)
「おれ舞若道の事故の後 T病院で断られて ここに運ばれ命を助けてもらった。
首の骨が五本折れて ボルトが入っている状態 親戚は Tで断られたとき
もう、駄目だと諦めたそうな。。ここで命を貰ったということは
まだ、世の中に少しは必要な人間だったのかな?」
「そうやで --その治療が最後なんだから 頑張ってしてもらって
元気になったら社会に貢献していかないとなぁ」
「そうだねぇ、そうするよ、ほんと」 今度私が行った時には退院か 転院しているか、
まだ リハビリしているかどうかなと 思っている。
福井大学病院は なあんと~広いところなんでしょ。
行くところには、人、人、人、 正面玄関入った所には幾種類もの受付があり
どの受付にも 午前中は行列です。
コンビニもあっちとこっちにあり、そこには食べ物は勿論で衣類から日用品あり、
普通の薬局もある。ATMは当然。
喫茶店あり、広いレストランあり、理髪店もありで ひとつの街です。
こんだけの人達の中を幾日かいて 知った顔、似た顔の人には誰一人会わなかった。
同じ場所に目あり鼻あり口ありでも皆顔が違うんだから、これまた不思議。
どこの病棟にも談話室があり、そこにはいつも人が集まってくる。
内科と違い整形外科は特に集まるようです。
名前は分からないなりに顔見知りになり、自然と話をするようになる。
「県外から来なさったんかの」・・・「嶺南の人かの~」と声をかけられる。
「はぁい、嶺南です。小浜です。 わかりますか?」・・・と聞いたら
「嶺南の人は ここいらと違って話し方が違う 言葉にクセがあるんやが」
「 ほやほやアクセントが違うんやがねーー」
ひぇ~~っ嶺北の方が それこそクセが強いと思てたのに。
談話室に朝早くから出て来る おっちゃんが歌が好きで
イルカの🎶。。。。きょねんより、~~ずっっときれいになったぁぁ~♬ と
通る看護師さんを指さして唄うと 「ほうか~の、去年を知っとるかの~」と
言って通り過ぎたりしている。
そう考えると二月にいた長野市の人達の言葉は違った関東弁とも違ゃう。
何処まで行っても果てまで行っても日本語だから通じる。クセがあってもな
。
京福バス:::大学病院発➡福井駅に乘るために バス停で待っていた。
いちにちに何度もあるこのバス。。11時15分発に乘った。駅には
11時55分着の予定、そしてうまくいけば 12時12分発敦賀行に乘る。
乘車券はどうやって買うんか 場所は? 乘るホームは・・・と考えながら
17分間あるし いや~もっと余裕ほしいなあ、 バスが着いた場所から
駅の中へ入って 次が分かるか心配だ。 走れば間に合うだろう・・・
そう思いながら バスに乗った。着いてから17分ある。イケる。
さあーー発車という時に 乗り場に同じように待っていた男性が
運転手さんに「福井駅までの590円の領収書が欲しい」 と言いました。
「路線バスでは領収書は出してはいない」 と言ったのですが しばらくして
駅のバスターミナルへ電話を掛けたのです。
「初めての事だけど お客さんで🚌バス賃の領収書が欲しいという人が
いるんやけど こんな時はどうしたらええんかの」
わたしは焦った 一分でも早く駅へ着きたいのに・・・
「ほーっほーっ そうけ~じゃわかった」 と運転手さんが
その男性に 「福井駅へ着いたらターミナルの裏側から入る所があるさけ
そこへ行って どこから乗ったか言ってもろたらええさけ そうしてもらえんかの
悪いの~ これを渡したら分かるから・・」 とメモ書きをして渡していた。
その間 何分か・・ 私は (なんと親切な人だ、 もう乗り遅れてもええ。
次の列車に乗ればええんや、 その男性は領収書が必要だったんだ。)
待っていたバス停では その男性が「ここで待てば福井駅行に乘れるんかね」
と聞いて来た。目には眼帯をしていて「きのうまで入院していた」んだと
いう事だった。お大事に。🏥 わたしはリュックを背に走って走って,階段も駆け上った。
ギリギリ 間にあった。🚃 🏃 ほぅ~~よかった
ブログを見てくれている数人の方々、、『数人の内の一人です』 と言ってくれた方も
毎度ありがとうございます。
さて、しばらくの間、所用でパソコンから離れます。 私かあちゃんはスマホからは
ブログを打てません。 のでので一週間ほどブログを休みます。
一日くらいなら、ああ今日は更新してないなあで済みますが 一週間となると
ちょっと違ってきます。
前回は長野市へ行ってきましたが 今回は永平寺町の方面へ行くことになります。
ではでは、数人の方がた お風邪や 花粉などに気を付けて・・・・・・・
あ~そうそう 広峰のにいちゃん、私は 美智子ではなく 美知子であります。
よろしくです。
ドンガラガッシャーンと異様な音ーーー
あ””っ、じいさんが こけたんかー。 案の定 床に半座り込み。
周りに置いてあったハンガーの束が飛んで行った。 ハンガーとは
凄い音を立てて 崩れていくんだわ (音でびっくりする)
ドアの取っ手を 掴みぞこないで、どすーんと尻もちをついたようです。
アンヨが弱っているので 堪えられんのやろ
持ち上げるにしても 相手は起き上がろうとする力を出すはずがない
痩せていても 何キロかはある、 こっちの腰がやられそうなので
いつものように次男也寸志を呼んで、、来てもらった。すぐに来てくれた。
ウチなら「なんしとんやな!、👹チャンと気い付けてせんと・・ ガミガミ」
なのに 也寸志は「こけたんか~、こっちへ行くんか~、おっしゃ。。。
こうするんか~座るんか~」と言いながら起こしてやって 定位置の
椅子に座らせてくれた・・・」なんであんなに 優しくじいさんに言葉がけ
できるんやろ・・・ じいさん小声で(情けねえもんになったのお~」
なん日たったか。。。玄関、入ったところに 干物が透明のパックに
入れて 置いてありました。
今だに どなたが置いて行ったのか 預かりものなのか くれたのかも
分かりません。 メモ書きもナシ、 連絡もナシで その人にしたら
「自分って分かるやろ」 と思っているのかも知れないが
そんなん、、分からんしーー。私は必ずメモ書きか 連絡をするけどね。
玄関にも勝手口にもメモ書き用の紙とペンは沢山置いてあるんだけど・・・。
ひとこと書いてあれば済むものを✑、 普通はどうする? こいう時は。
干物が(長く持ちそうだけど)
腐るといけないので 冷蔵庫には入れてある。 誰かに渡してぇというなら
早よ 言うてーーな。
いちいち こちらから 一人ひとり 聞いて行くのも 変な事です。
置いた人も 日が経って 覚ていないかもしれない。
干物は冷蔵庫で 更に干物になって行く。
四月から四校が統合して(国富、宮川、遠敷、松永) 小浜美郷小学校となる。
美郷と知った時に 美浜か敦賀方面の名称という感じがした。
学校名は公募の案で決まったようです。
北小学校、東小学校、西小学校 南小学校と 決まるのかと思った時もあった。
保育園でも やまなみ保育園、あそびの家共同保育園、三びきのこぶた保育園
そらのとり保育園、浜っ子こども園、などなど で地区の名が無いので どこら辺に
あるのかわからない。
今は地区の名は使わなくなってきているようですね。
今富、加斗、雲浜、口名田、西津、小浜 内外海なども 統合していくのだろうか。
廃校になって行く学校はどうなっていくのか。
それを使う人も 人口減少 減少と 少なくなって行くのであるから
寂しい限りであります。