魚の干物が欲しくて 市場へ行った。 駐車場が満タンだったので 前のフイッシャーマンの
駐車場に置いて市場の真ん中から入ったら 凄い人出で驚いた
右を見ても 左を見ても人ひとで ゆっくりとは見ることが出来そうもない。
いちばん端の鳥羽さんのいる店へ行き エテカレイの干物を買った。
日曜日で天気も良いので こんなに賑やかなのでしょう。
天気が悪いとき☂ ガス乾燥機で乾かせた衣類をたたみながら・・とか靴下を揃えるとか・・を
炬燵に足をいれて テレビを見ながらやることが多くなった。
この間 日本に何百とある中の、人が住んでいる島へ行きそこの事を
リポートするような番組があった。
たしかに素晴らしい眺めの島であり 島民も優しく見ていると行って見たくなるようなところ・・
しかしです リポートする人の言葉が耳ざわりで 途中でチャンネルを変えた。
彼が大きな船に乗りこむ、、そこからモウ始まったのです。
「めっちゃくちゃ大きい船ーーだ」 「めちゃくちゃ大勢の人が乗っていますね」
「わぁ~めちゃくちゃ 気持ちいいねえ」 何かにつけて めちゃくちゃの表現・・・・
それしかネエーのか。。と言いたい。
島のおばちゃんが 何かを食べさせてくれると「めちゃくちゃ美味しい~」と叫ぶ。
あ~あ嫌になった せっかくの素晴らしい島なのに チャンネルを変えてしまった。
きのうの夕方 天気予報を見ると またまた強風が~。
ほんまにぃ・・・二階の窓を閉めるつもりで 行ったら(あんりゃ~不気味な空・・)
明日が晴れだと聞いていたら (わぉ~素晴らしい空・・)と感じたかも
急いでデジカメ取りに下りて 撮ったが 何秒かの差でもう 空は変わっていた。
観る👀は 気持ちで変化するんかいな、
凄い久しぶりに てこね寿司を作りました。長い間作っていなくて なんか満足が不足だった。
なにがいけなかったのか こうーーというものがなくて 感覚でしかないので 出来てから何を
反省するかもわからない 次に青物を頂いた時に 前の感覚を思い出してやろ~う
これからは海も状態が悪くなって来るから 青物を頂くなんて横着なことを思っていたら
ダメですよね。 でもでも・・・・
気が付くと もうあれから――何日かが経っていて驚く。
これは困った事です 時間が速く経つ・・・ということは一日が速い。 先日同級生五人で
会食しながらの 話をきいていました。
腰が痛い・・・足が痛い・・・腕を伸ばすことが出来ない。。など 何でも古びてくると
あちこちと言うことが出てくる 昔はそんなことは他人事と思っていたによ。
ウチは今のところ 足も腰も 腕も痛くは無いけれど 頭の中が心配です。 頭は自分では
気が付かないで病気が起こって来る 脳トレをしないといけない。どうやってしたらいいかも
分からない。生き甲斐が無いとそれがいちばんの 問題ではないかな。。。生き甲斐?
自分が楽しいことが生き甲斐なのかもしれない だから楽しもう・・・そうやわ、そうしよう。。✊
この間 凄く良い天気に 家の事を済ませて 熊川宿へ向かった。
誰かを誘うことも考えたが。。。その日はまっいいかっ”ひとりで行こう~と。
まる志んへ入ったら 椅子席は空いてなくて 畳のテーブル席だった。
鯖寿司セットを注文 本当は葛そばだけをと思っていたのだが 鯖寿司も少しは欲しかった。
焼き鯖寿司と生鯖とがホンマはセットのところ焼きが売り切れでした。
私はどちらでもいいのです。これでないと駄目ということはないのです。
葛ようかんも甘過ぎずやさしい味で 美味しかった。
お客さんが次々と入って来られますが なんとなく静かな雰囲気の店で居心地が良い
時間でした。 年配者が多いのでそうなんだろうね。
知らない人とも話をしました。いつも最後には珈琲をサービスしてくれます。ごちになります。
明日16日に 内外海地区の戦没者の追悼式が行われます
その準備に建造じいさんの代理で交流センターへ今日行ってきました。
式次第の紙を貼ったり
椅子を並べたり・・・花屋さんが後 両わきの飾りをしてくれます。
年々 直の遺児たちも年齢が高齢化してきて遺族会の存続も難しくなって来たようです。
次世代の話しも出て来てはいるけれども それはウチの家では無理な話です。
戦死した ウチのおじいさんは輿三と言う名前で昭和16年の3月か4月に出征で
四年後の昭和20年に31歳で戦死・・帰りの船の中でらしい鉄砲に撃たれたことが原因ということで
場所は瀬戸内海方面に於いてと記されている。 すぐそこまで帰って来ていたのです。
しかし20年1月31日死亡となっているけれど死亡告知書の日付はその年の12月となっている。
今の時代なら即分かるけど 当時昭和20年代は 一年がかりです。
その間 京子ばあちゃんは輿三さんが 生きていると信じていたに違いない。
京子ばあちゃんは輿三さんとはたったの一年間しか一緒にいられなかったのでした。
とにかく明日は 何回目かの追悼式が行われます。ウチは献花の花を渡す役であります。
午後二時から お会式(えしき)でお寺参りです。
各家の祀ってある日蓮聖人像に綿帽子を被せます。かぶせました。
小松原で東条景信の襲撃を受けた日蓮聖人は額に傷をうけた 通りかかった老婆の
おいちが 自分の被っていた真綿を差し出し「傷口に風をあてては痛みます」・・と
差し上げたということらしいです。
毎年 檀家の植村さんが皆んなのぶんの真綿を用意してくれています。
ここらでは会式荒れといい13日前後は天気が悪くなりますが やはり明日は大荒れのようですね
きのう午後三時半ごろにいつもの医院から じいさんの往診に来てもらった。
前もってインフルエンザ予防接種を受けるか。。ということだったのでじいさんに聞いたところ
「もうーーええわ、生きとるのもどうでもええのに そんな注射したかて生きとるのも嫌になった」
・・・と言うので「今度往診に来てくれた時に先生に 自分で言わんかいな、生きとってもしゃないと、
ウチに言うたかてどうにもできへんし」
そしてきのう先生が入ってくるなり「どうですかあーー体調は変わりないですか??」と先生。
「はいっ!変わりないです」やて 元気な声で・・ こうも違うんかぁ~ウチには嫌がらせか?
ご飯もちゃんと食べているし、好きな相撲や野球のテレビ観てそれ以上の事あるか・?
先生が「運動も(歩く)せんとあかんで」「・・・・」
運動は自分次第やで やる気があるかないかで傍が言うたところで聞く耳持たない人だから。
ナっ・・・そうと違うやろか
きょうはインフルエンザ予防接種を受けに行って来た。
けっこうな人が受けに来ていた。
予防接種については色々様々 効くとか効かないとか・・・効かないと思う人は受けなければ良い。
私は何年か前に受けていなくて ひどい目にあったことがあり あれ以来は受けるようにしている。
あの時には(死ぬことはラクかも知れない)・・・とそう思うほどに辛かった。
受けたからといって いい加減なことはしてならない。人にも迷惑をかけてはいけない。
今年は早くから流行しているということです。 みなさん身体には気をつけましょう。