鬼の霍乱、かくらん いつもは丈夫でも体調を崩すことがある。
まさに 私は今それなのです。少し何かをして、家に男たち三人居れば最低限のことは
しなければならない。 で少し何かをして、寝転んで しばらくして又、ちょこっと
家事の一部をして 又寝転ぶ その繰り返しの状態が 続いている。
寝転んでいる所へ 孫ボンが 「これ、貰って来た」とレタスを見せに来た。
「あ~、ほんまぁ~誰にもろたん、」 「せ・ん・ぱ・い」
せんぱい?これか! なにかというと せんぱい、かともだち なんで名前を言わないん。
言うてもわからんやろ」 というけど 我が子の時にはよく名前を聞いていたので
いまでも 名前を聞けば 顔も思い出すことがある。
しかし 孫ボンなんかの ウチに来る子たちの 名前誰も知らない。
まして、離れで 集まっているので尚更である。
言いたくなければ 聞かなくても言い。 時代がちゃうんやろ。
そのレタスを ソーセージで巻いた。 こうするととても食べやすく美味しいはず。
今は 手の込んだ(いつもだけど) おかずは作る気がしない。
イマイチすっきりしない。 一月が終われば元に戻ると思いながら日の経つのを
待っている。
明日の親戚の百ヶ日の法事も (ホンマはおっちゃん方の親戚)お断りした。
お寺の開山講も休ませてもらおう、 無理して行かれないこともないが
心身疲れるので――という選択の方が大きい。
年に何度もある寺参りです。行ける時だけでいいや 私は無信心者なのでしよ。
かあちゃんのひとりごとも いっきには書けない。。(?_?)
何ねんか前にも こんな霍乱があった。 歳の節目に。。同じことやわ。
年に一回か 多くて二回ドライブがてら一緒に行くことがある おばちゃん、
先日の事 連絡があり
山の方へ行きたいと云うので 初めは末野のここいろ、へ行ったら二月末まで
休みとのこと。 山の方というと 根来方面しか・・・
そうや忠野のカフェへと思ったが 予約がいるはず、 だがカフェの名まえが
出て来ない 電話を掛けるにしても 名前が・・・?普通の名ではなかった。
とにかく そっちの方へ向かって走った。
忠野には11時に着いた 開くのは11時半からで 一応ふたりと言っておいた そして
車の中で待っていた。
来るわ 来るわ つぎつぎと車がきた。 この人達は予約をしてあるんだと思った。
小さな子供連れの若いおかあさんたちが みな同じ顔に見える。
髪の毛はたいてい長いし 着ている服も今どきの ・・・・。
駐車場は言うてる間に満タン 道路にもずっと 何台も停めてある
そうや、、わとと、、という店やった。。 古民家をカフェにして その日のランチは
メニューが決まっている ケーキと飲み物は選ぶ。
黒ごまナンチャラと言うケーキに コーヒーを注文、 初めに雑穀飯が来た。
ランチが決まっていると云うことは その店にしたら 楽っちゃ楽、
ふ~と あのヘルニアにいちゃんが浮かんできた 【痛】 ということは
本当にツラい事 治るんかナ、ヘルニアは (~_~;)
「こんな変わったモノは常には食べることないし またいいものやな」と喜んでいた。
ワトト店長 カタカナ語で説明してくれたけど わたしの頭には入っていない。
出してくれた水でも なんかの匂いがする レモンかなんやろ。
私は普通の熱いお茶が欲しかった。 言わないでいたけども。
布団から 首だけ出して 時計とにらめっっこをしながらの朝。。
あと五分あと五分が闘い、の日々・・・
今朝は闘いは止めて 一時間早く起きた 四時半です。辺りは静寂
同じことをするのでも 時間があれば焦らなくてできるのに、これがなかなか。
洗面所のストーブを点け、炬燵を暖め、
味噌汁を作り 玉子焼きをして ハムで胡瓜を巻、ヨーグルトにバナナを入れ、
梅干、漬け物、刻みネギ、を出す。
たったそれだけが ぎりぎりに起きると焦るのです。
炊飯器がシュー―ぼこぼこと音を立てて湯気をあげている。
毎朝 六時十分に炊き上がりにしてある。
一時間の事でこんなに余裕を持って朝の支度が出来るのが 続けられないとは
寒さのせいである。 なにもかも寒さのせいである。
スーパで出来上がりの海老フライを 買った。
いつもは生の海老を買って 作るのですが もう出来上がっているし
これは楽だわ、 と・・・・しかし 食べていくうちに 油のニオイだけで
いったい何処に海老さんが入っているのか分からない 粉の味だけで
失敗でした。 出ている尻尾はまあまあの大きさだけども。
ようもまあ こんなに太った海老の形に上手にしてあることやら。
ジラな考えで ラクをしようと 思ったのが大きな間違い
大きくても小さくてもそれなりに粉を付けて揚げてくれないと、
今日のは海老ではなかった。
小麦粉とパン粉と油の 味だけで私は反省ばかりです。
だけど、、、あれだけの海老フライ は誰かが買って行き完売するんだろうね。
トンカツでも チキンカツでも 自分で作らなければ あきません。
20日が大寒だったのですね。
天気が悪くて 寒くて 土曜日とは大違いの 20日 日曜日です。
おっちゃんも 丸々 いちにち半 起きて来ない。 息はしている。
動く気が無い時には そっとしておくのが お互いに平和である。
今更、、「起きて、ご飯はどうや?」 「なにか欲しいか」などとは 聞いたところで
答えるはずがない。
きのう、宮川エッグの【なおさん】が 大寒たまごを 持って来てくれました。
わたしは大寒卵という言葉を 知らなかった。 感謝です。
大寒の寒い時期に 産んだ卵には栄養たっぷり詰まっていて 健康に
良い。 黄身が濃くて金運幸運アップらしい、 幸運はそれぞれの取り方
思い方で感じるモノであるから わたしかぁちゃんが望むのは 健康である。
金運は あるに越したことはないが 無いなら無いでやっていける。
特にこの時期 風邪と仲良くなったり 陰気な日が多くて落ち込み気分が
続いたり・・・・で身体が元気なのが最高です。
今朝は 孫ボンが 大寒たまごを 炊きたてご飯にかけて
美味しそうに食べていました。
わたしも 皆がでかけてから たまごかけご飯をいただくとしましよ。
鉛色の空を見ていても気が晴れないので部屋に籠って 今まで集めた
切手のノートを出して見た。 あの時分は何かしら 何のためにか切手を
集めた。 当時は手紙の時代であったからなのかも知れない。
ありふれた切手を貼るよりも・・・と そんなことなんかも。 それが今の
時代には手紙を書くことも無くなり どこからか来る封書には 切手というモノ
は貼ってない。 ポンとスタンプかが押してあり 切手の貼る料金も知らない
人もおります。 10円の時代にはよく手紙を書いたものです。
わたしは 手書きの手紙は今でもおいてあります。
17歳で病気で亡くなった同級生が病院から出してくれた手紙は大切に。。✉
そして10代~20代には やりとりが多かった。 今はさっぱりです。
LINEやメールの時代 変われば変わる、想像もしていなかった。
何冊もある切手シートは 今更なにになるのか 何のためにもならない。
どうしたものか・・・と思案中であります。
数えきれないほど あります。
お正月 四日に お寺さんが年回忌が当っているという説明用紙を
置いて行かれました。
昭和45年7月に亡くなった ヨネさんの50回忌です。
宗派やお寺によっては 違うらしいけど 亡くなった後 50年も 法要というか
供養というかを 行っていくと云うことは 毎日の仏壇参りでは なにも意味がないので
あろうか。
お盆のお題目なども そうです。
お寺さんにお経をあげて もらい お布施をしなければ 供養をしたことには
ならないということなのか。
法事毎に お布施(万円) 御膳料(万円)、 祠堂金(万円)塔婆料など々
普通 誰もが言う 物入りなのです。
寄ると、、
簡単には死なれヘンな、 何百万かを 自分で準備しておかないと なあ~
後の者に ギョウサン文句を言われんようにせんとなあ・・・」 と
こんな 話がでてくるようになってしまったわいな。
昔はよく そこらに転がしてくれたら、 とか 海へほってくれ・・・とか
可愛らしい事をいう、 爺さん婆さんが居たそうな(*´Д`) そんなことできるはずがないやろ
そんな、捨て台詞 あかんあかん。
しかし 今後 代々家を継いで行くことが 出来る所は 良いけれど
継ぐ人が少なくなってきて しまいには 絶えてしまうことが 増えてくるのでは
ないでしょうか。
そうなったら、なったで その時代にはそれなりに 考えていくのでしょう。
ウチのヨネさんを知っているのは おっちゃんと私ぐらいで 後の子達は
知らない先祖さんとしてお寺さんのお経を聞いているだけなのでしょう。
わたしでも 二年間一緒に居たくらいで 所々 思い出すだけです。
50年の法要をして、さてさて ヨネさんの魂は知っているのだろうか。
生きている人が決めた 行事なのだろうか なんだか分からないけど
命日までに 50回忌の法事をしなければいけません。
しなければ・・・などと言っては 罰が当たるかな、、させていただきます・・・と。
きのうの後半では 風邪と取り組んだ結果 軍配は私に上がり白星の
つもりだったが 「勇み足」 で行司軍配は{風邪の山}であった。
調子良く 風呂へ入り洗髪もし 流しの茶碗、鍋 翌日の米も洗い白星状態で
こなしていた。
ところが夜中に目が覚めた時に おりゃ~っ変だ 汗が冷たいぞー。
熱は大したこともないが、ちょっとある。
常が 低めであるので こりゃ駄目だ。
今の (午後1時)今まで起きられなかった。 気になっている洗濯もしなければ
心身共に 休まれない. とり合えずそれを済ませて・・・・もうしばらく寝よう。
玄関もカギをかけたままで、 カーテンも閉めたままで
ZZZZZZZZ 次回はしっかりと 取り組まないと。。。
押してもダメなら引いてみな🎶~♬・・・
水前寺清子の歌にあった。 ウチは 押す事もせず 引いてみたら、大変・・
つーーっっと鼻水、この後はきっとひどくなる筈 熱が出るまでにお医者へ。
医院で測った時はたしかに 平熱以下、 これから上がるんやーー。
「四日間の薬でいいね」 「四日ぐらいの薬では足りないです。絶対」
「じゃぁ一週間分出しておきましょか」 それから、予想どおり
まるまる二日間は寝込んだ その内に腰が抜けるような痛さ 抜けたことないので
抜けるような痛さとはホントはどんなんか?
そういうことなら 死ぬほどツライ。。というが 死んだことない者が言うセリフで、死ぬって
そんだけにツラいのか” そんにツライのなら皆、死にたくはないはずやなあ。
腰が痛いと そこらじゅうの調子が悪くなってくるーー
お医者さんのおっしゃる通り 薬も四日間で良かったみたいです。
今日でまる三日。
今日はウソのように 楽になってこうして ひとりごとも書けてます。
けんど無理はせえへん 時々は寝転んだりしながら 日を過ごそうと思って
いたけど、ちょっちょっと そういえばおっちゃんの 「往診11日に行くで・・」という事だった。
うかうか 寝てはおられヘン やっぱ女は元気でおらんとあかんわ
きのうだったら ウチも、よおー起きてはおらん、
これが反対だったら どうなん? (恩きせがましいヵ)
隣へ回覧板を持って行っている間に 着信があったようで ピーカッピーカッと
固定電話のアンテナが光っています。
52-0110 からです。 これは小浜警察署の番号 以前はよく鉄砲の事で
電話もあったけど 今では廃棄したので用事はないはずだし、 おっちゃんが
何かを しでかすことも 家に居るのだからないし・・・
「着信がありましたので」 と掛けたら 「なにか事故か落し物かしましたか」
「いいえ、わかりません」 しばらくして「電話を掛けた者が出て行ったので 後で
掛けてもいいですか?」 と云うことだったので
「掛けた人は なに課の人ですか」と聞いたら 刑事課だといいます。
それからまた 数分たってから 52-0110から掛かって来た。
「こちらは小浜警察署刑事課の○○といいます。先ほどは間違って電話を掛けてしまい
ました。 すみませんでした。」 「はい、間違えたということですね、わかりました。」
似たような番号もあるので 間違える事も まぁあるわな。