株式会社小浜マリーナ
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かあちゃんのひとりごと

度々の地震で。。。

2024年02月20日

テレビの画面に地震の速報が流れます

「津波の心配はありません」と出ると一安心します

石川県の地震に対する支援金、募金など色々の方法で

ありますが 各地区で集めて赤十字社を通じてと・・

云う事も度々あり この地区も1月末にありましたが

私は地区では無くてそれまでに郵便局から直接に

石川県へ行くように送りました。

赤十字社を通じると 日本赤十字社に6割 後の4割が

災害地区に入ると言うような事が書いてありました。

そりゃ赤十字社に 社員もいるから経費は要るだろ。

少しの義援金でも直に行って欲しいと思い郵便局から

送ったのです。

いつどこで地震が起きるか分かりません。

怖いです、 戦争も怖いですね。殺し合いですから。

地震も戦争も無くならないのが この地球。(~_~;)です。

 

あえっ・・・これっ

2024年02月16日

今朝、友人が持って来てくれた 丸大根の中に

何だか皮を剥くのが 待ってぇ」という感じがした。

誰かに似ているような 見たことあるような人に

似ているような、いやぁーーこんなおっさん おらへん

けど、、何かを言いたそうに思えたので この大根だけ

別にして しなびるまで置いておきましょう

しなびて来たら又 人相が変わってくるかも 身近にいる

我が家の アレに似て来るかもしれない

ヒゃぁ~( ̄∇ ̄;)ハッハッハ 笑いごっちゃ無いでーーー。

 

しばらくぶりのブログ

2024年02月14日

元日の地震もびっくりでしたが

今日の地震もびっくりでしたね ご―ーっという音が、、

その後揺れて来た そして石川県の事を思った。

ジキに揺れはおさまり ホッとしましたが 考えて見ると

いざという時に 何を持って避難したらイイか・・・

何も準備が出来ていません。 みんなパッと 避難する時に

持ち出しのモノは準備してあるのだろうか?

石川の事を毎日ニュースで見ていると 毛布が要るなあと

思いました。 寒さには耐えられませんから・・・

しかしウチはどうするの?以前にもブログに書いたように

寝ているジイサンが問題です。この正解が未だ見つからない。

話しは変わり↷

ここ2,3日 暖かくて 心地良いのですがアイツが出て来て

何匹捕ったか知れんわ

ペットボトルも処分したので 次のペットボトルで仕掛けを

して見つける度に捕獲です。

寒い時には何処に潜んでいるのか エサは何なのか

アケミんち、は長靴に入っていたとか ギュッと足でつぶした

のだろうか 靴下は捨てたという。

アイツが出て来ても 地震ほどの事はないけれど 地震は

怖いですね 地面を揺らすのですから 凄い力です。

今回のは京都府南部と言っていました。

やはり 地震 カミナリ 火事ですね。。。(おぜぇのは)

地震は気を付けようがありません。 カミナリは家の中なら

まだ、マシです。

火事はみんなが それぞれ気を付ければ防げる事です。

恐ろしいのは 地震 カミナリ 火事 台風です。

我が家は いざとなっても どうにも出来ません。

 

 

 

 

やはり綺麗です

2024年01月30日

午後五時六分・・・・一月二十九日です。

時たま欲しい 天気でした。

戦争、地震、不正、あの大企業が不正なら何を信じて良いやら

悲しくなります( ;∀;)

 

 

こんな時 気ぃつけなぁ

2024年01月28日

雪☃ 雪で次から次へと降り 積もって行った

車庫から車も出れるのか?

表側 玄関側に ヘルパーの車が入れるか? 入れんて

分かる程 溜まってゆく (~_~メ)

そんな時 音がして来た 也寸志が除雪をしてくれている

リフトの先の雪かきで ゴボ~っと除けてくれている。

「あぁ。。。助かる(^-^) 」

温度も低くて 前屈みになりそうアカン あかん胸張って。

朝の事が一段落すると 無性にアレが 甘い物が欲しくなる

う~~~ん辛抱 でけへんなぁ

白湯を飲んで落ち着く 落ち着いたら やはり冷蔵庫へ向かう

美味しそうな 小豆モンがあるのです。

チンして食べよう 我慢のストレスも良くない、と考えて

大好きな 今川焼きをチンしてゆっくりと頂く 幸せ(^^♪

そんの事が度重なって 「あっっ・・胃が 叫んでいる」

小物入れの中の 胃薬を出して来た

このエーザイの胃薬を見ると マッキーさんが浮かんでくる

貴方の会社の薬  今でも関係しているんでしょね

ふたりの娘さんたちが お医者だからね。クスリとは縁が

切れませんマッキーさんですが

以前にマリーナでこう~話していたのを覚えていますが

今でもそうなのかな? それはこうです

「僕の家には 油と砂糖がないのです」と

釣った魚 キスなんかは天ぷらにしないのかなと・・・

しないようですね 塩焼きーー そうだったね。

身体に気を付けて元気で魚を釣りに行くんだと 云う事でした

ウチは 身体にも気を付けるが精神的にも我慢できない事は

そぉーーです そうなんです。

一錠飲んだら 楽になって来ました。気を付けます。

きのうテレビで外人が言っていた

「仕事をするには歳が行ったけど 死ぬには早いから好きな事を

する」って。

この薬を全部飲まないで良いように気張る・・・わ

 

 

押し入れの片付け

2024年01月12日

我が家で言うと玄関を入って右へ行くと突き当たりに

一間の押し入れがあり 鍋やプラスチック製の

いろいろの入れ物、お椀、コップに重箱、色々

これだけあっても滅多に使わない物ばかりです。

それを全部一旦出してみたら どれから処分したら

良いか呆然としました。(゚Д゚)ノ

思い切りが大事ですヨシッ仕分けて行きました。

これは良いものだけど 使った事が無い。。。。と

いうモノが殆んどです。以前マリーナ開きに使った

お椀や、コップに鍋 あらゆる入れ物などなどです。

う~ん要らん 要らんわ、 市のゴミ袋が重い程に

入りましたね、燃やすゴミ、埋め立てゴミ、金物ゴミ

要らないとなると処分する物ギョウサンあるものです。

長年お世話になったのですが 終りの時が来たのです。

袋に入れて 次の収集日に お別れします。

押し入れの中は随分 ガランとしました。

今日は思ったことが出来て良かったです。しかし

これで終りではありません、二階にもあるのですから。

やる気の出た時に また処分します。

嫌々の気分の時は 何をしても捗りません。

ウチも 歳ですから やれる時にやらねばならぬ。。です

 

 

 

お正月気分もありませんが

2024年01月08日

元日からの地震で毎日ニュースが 続いていて

石川県の皆さんは大変な苦労です。

何といっても寒さです 小浜市に住んでいる私達は

被害も無く暮らしておりますが 何の助けも出来ないまま

日が過ぎて行きます。

自然災害は いつなん時やって来るか分かりません

いざという時の持ち出し準備も出来ておりません。

各避難に適した場所に頑丈な建物を建てて

必要な日用品など

食品や毛布などを置いておいて 2~3年毎に

交換したりして置くと いざ逃げる時には手ぶらで

身一つで逃げられるようにしたら あれこれ重いモノを

背負ったりしなくても行けるかな

などと被害の遭った人達を見て 考えたりしております。

こうしていても いつ なん時 緊急事態が起こるか

分かりません。

最近よく耳にする 東京直下地震  南海トラフ地震

富士山噴火などと話しがありますが

祈るしかできません ただ祈るしか。。。。

 

 

どんど焼きが出来ない時は

2024年01月07日

各地域によってどんど焼きの日が違いますが

天候が悪い日は 出来ませんね

そんな時は お飾りを 新聞紙を広げて 載せて

感謝の気持ちをこめて 塩で清めます。

そしてそれだけを包んで 別の袋に入れて

各市で回収してくれる所へ 出して置くのが良いと

されています。

 

 

片道-。。年賀状

2024年01月06日

こちらからは出してなくても毎年送ってくれる

年賀状です。

もぉ何年になるだろうか 27.。8年前に

祥希が肺炎で入院した頃、まだハッキリとは

お喋り出来ない時分に 看護学生さんが付き添って

くれました。寒い頃で床が冷たいだろうと

ダンボールをかかえて病室へ入って来て床に敷いてくれ

ました。

下で遊べるからと 上中の電気店でダンボールを

もらって来てくれたそうです。

若いのによく気が付く学生さんでした。

わたしは 年賀状は よぉ書かないけど貴女からは

必ず下さい」と何年か前に連絡してあります。

あれから彼女も結婚して子供さんも何人か、、、

そして今年の賀状には娘が結婚しました。。。と書いて

あり あれから30年近くなるんですねと、、ほんとに

お世話になりました。 次はわたしがお世話になるから。

そして

8歳になるボクちゃんと6歳になるお嬢ちゃんの

家族さん いつもありがとうね 私は御無沙汰してますが

年賀状とても嬉しく思います。

パパ ママがはっきりと分からない画像はわざと

ですね(^^♪

そして町田市にいる姪っ子からも毎年家族の写真入りで

成長がよく分かります。

来年も元気で待っておりますから頼みますよ

待っておりますよ。今年もよろしくお願いいたします

 

 

令和6年を迎えました。

2024年01月04日

令和6年を迎えましたが

びっくりですね ほんとう 元日早々に地震が起きた。

「、、、あっ揺れてる 地震や、、長いなあこの揺れ、、」

と言うてる間に テレビから、有線から【逃げて】という

逃げてと言われても 気持ちが付ついて行かない

何処へ逃げるの? 西津の大学か?あそこは高い所に

建っているし、それとも内外海コミニュテイセンターか

来ていた子供たちはウチから出て行った。

ウチに居た長男が震度4なら大丈夫や 6にもなったら

ちょっとヤバイけど。。。といい

家に居りましたが私は少し落ち着かない心持でした

ずっと テレビで逃げろと言い続けるから

とはいっても 建造じいさんはどうすれば良いのか

常々 ワシの事は構わんでくれと言っていたが

そう言う訳にもいかない。切羽詰まったらそうする

かも知れない。

わたしは二階から 双眼鏡で海の方を

特に勢浜のほうを見ていました海の状態がいつもと

違って来たら 避難せんならんかな と思いながら

でも海の状態は 常と変わらないように思えた。

そうこうして時間が経ち 「帰って来た」という

LINEが入って来た。大学の方へ行った子も

「もう帰っても良いと言われたから」と言って来た。

次の日にヘルパーさんと 避難する時に こういう

寝たきりの じいさんを ほって行けるかどうかの

話しをしていたら「わしの事はほっといて行ってくれ

たらええさけ」というけど「建ちゃんどうしたんや」

という話になるに違いない。

「家に置いてウチだけ逃げて来た」と言うんかいな。

こういう時は本当にどうしたもんかと思う。

同じような境遇の家もあるだろうに。。。(◎_◎;)

 

 

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